コラム

実学の精神とは?慶應・近畿大学・東京農業大学の意味と実践を比較

執筆
大学ブランディング研究所 編集部
最終更新日
実学の精神とは?慶應・近畿大学・東京農業大学の意味と実践を比較

「実学」は、就職に役立つ技能の別名ではありません。大学が使う「実学」も、一つの思想ではありません。福澤諭吉が「サイヤンス」と表した実証的な学問、東京農業大学が掲げる現場起点の問題解決、近畿大学が建学の精神に置く現実理解と人格形成では、同じ二文字でも重点が違います。自校の理念と教育制度がつながっているかを確かめるには、まず言葉の違いを分けて捉える必要があります。

実学は「すぐ役立つ知識」より広い

辞書では、実学は社会生活に実際に役立つ学問などと説明されます。しかし、大学教育で「役立つ」を短期の就職技能だけに狭めると、本来の射程を失います。

文部科学省の審議会報告も、「しっかりとした実学」と「すぐに役立つ実務知識」は違うと注意しています。そこでいう実学は、現実に根ざし、現実と深く関わろうとする学問です。理論を捨てるのではなく、理論を現実へ照らし、現実から理論を問い直す往復に価値があります。[文部科学省「人文学及び社会科学の役割・機能」

この前提に立つと、「実学を重視しています」だけでは大学の特徴になりません。その大学では何を観察し、どのように試すのでしょうか。ここからは、三者の公式説明を順に読みます。

三大学の「実学」は、出発点が違う

大学・学校法人 実学の中心 現実との接し方 公式情報で確認できる制度
慶應義塾 科学(サイヤンス) 実証的に真理を明らかにし、問題を解決する 文学部の自然科学科目・実験の説明
東京農業大学 現場から学ぶ問題解決 農業・地域の現場から課題を見いだす 各地の農場・演習林、バイオサイエンス学科の実験・研究発表
近畿大学 現実理解と人格形成 社会の課題へ知識を応用し、意味を考える 教育方針、起業・事業化支援、実証環境

これは優劣の比較ではありません。三者が同じ語で別の教育的約束をしていることを確かめるための整理です。

慶應義塾の実学は「科学する心」

福澤諭吉の実学は、実務技術だけを指しません。慶應義塾本体の公式ページは、福澤の実学を「科学(サイヤンス)」とし、実証的に真理を解明して問題を解決する科学的な姿勢だと説明しています。[慶應義塾「理念と歴史」

その意味を、文学部の自然科学部門の説明と合わせて考えます。日吉の1年次には実験系と講義系の科目があり、自然科学系列は卒業までに8単位以上を修得します。学部は、人間を理解するには、生物や物質、地球環境などの理解も必要だとして、実験を伴う学びの理由を説明しています。

文学部で自然科学を学ぶのはなぜか。専門の外にも、人間について考える根拠があるからです。実験で対象に触れ、自然科学の論理を学ぶ方法は、実証的に明らかにするという実学の姿勢から読むことができます。

東京農業大学の実学は、現場から問いを立てる

東京農業大学は、初代学長・横井時敬の言葉を通じて実学主義を説明しています。「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」は、観念だけで結論を出さず、問題が起きている現場から学ぶ姿勢を示すものです。[東京農業大学「『実学主義』のもと『生きる力』を育む」

同じ公式説明は、「農学栄えて農業亡ぶ」「人物を畑に還す」という横井の言葉も紹介しています。大学は、学問だけが発展して農業の現場から離れることを戒め、農業後継者や地域社会の担い手を育てる思想として実学主義を位置づけています。現在は農学に生命科学、環境科学、情報科学を加え、食料・環境・エネルギー・健康の課題へ対象を広げたとも説明しています。

現在の農場・演習林の案内を読むと、実地で扱う対象の違いが見えてきます。網走寒冷地農場は北海道の大規模畑作、宮古亜熱帯農場はサトウキビや熱帯果樹、奥多摩演習林は森林の仕組みや育成方法などを教育・研究の対象にしています。現場へ出るという一語の中にも、気候や生産対象が違う学びの場があります。

生命科学へ広がった先では、バイオサイエンス学科の2025年度点検・評価報告書が、実学主義に基づく実験・実習と研究室での専門教育を説明しています。3年次の基礎・応用実験から、4年次の研究計画、中間、卒論の各発表へ進む構成です。農業の現場だけでなく、実験を行い、得られた結果を研究としてまとめる場にも、実際から学ぶ考え方が続いています。

近畿大学の実学は、実用性だけで終わらない

近畿大学は「実学教育」と「人格の陶冶」を建学の精神に掲げています。公式の教育方針では、現実を踏まえながら、事柄の意味を理解し、創造性と知性を育てることを実学として説明しています。つまり、役立つ成果を出すことと、どのような人がその知を使うのかを切り離していません。[近畿大学「近畿大学教育方針」

同方針は、理念をディプロマ・ポリシーとカリキュラム・ポリシーへ接続しています。卒業時の資質として、問いながら学ぶ習慣、専門知識・技能、探究心と社会貢献への使命感、課題を歴史観・人間観の中で捉える教養などを示しています。教育課程では全学共通科目と専門教育科目を二本柱とし、専門教員も教養教育に参加して実学と教養の連動・融合を図ること、産学連携やインターンシップなどを用いることを明記しています。

実装例の一つが起業支援プログラムKINCUBAです。大学は、研究成果や学問の結果を社会へ貢献できる事業に変えることを目的に置き、セミナー、体験講座、メンタリング、法人設立支援、キャンパスでの実証までを段階的に用意しています。[近畿大学「KINCUBAについて」

起業という活動名だけでは、実学との関係は尽くせません。研究や学問から得た知を事業として社会へ渡すまで支援する点は、知識を現実の問題に向けるという実学の説明に重なります。一方、事業化したことだけで人格形成を示せるわけではありません。近畿大学の二つの精神を読むには、KINCUBAのような応用の場と、歴史観・人間観も学ぶ教育課程の両方が必要です。

同じ「実学」でも、慶應義塾では実証的な学問の姿勢、東京農業大学では現場との関わり、近畿大学では実学教育と人格形成を合わせて読む必要がありました。文学部で自然科学を実験とともに学ぶこと、異なる気候や生産の現場に出ること、学問の知を事業へ育てること。それぞれで、何を確かめ、誰のどんな問題へ向き合うかが違います。実学という言葉の意味は、こうした学び方の理由まで読むと、教育の姿として捉えられます。同じ二文字を、同じ教育の意味だと受け取らないためです。

出典